ビルバオからの日帰り旅 ゲルニカ&ベルメオ

スペイン

2024年5月~6月 スペイン北部+イタリア南部+フィンランド

ビルバオ滞在中には、電車(バスク鉄道)を使ってゲルニカ(Gernika)ベルメオ(Bermeo)という2つの町を訪れました。

© OpenStreetMap contributors

ビルバオ旧市街のカスコ・ビエホ駅からゲルニカまでは、バスク鉄道(Euskotren)で55分。そして、ゲルニカからベルメオまではバスク鉄道で20分。ビルバオ⇔ベルメオ間の列車は、平日は30分に1本、週末は1時間に1本と、比較的頻繁に電車が運行しているので、ガチガチに計画を立てなくても、ふらっと出かけて、好きなだけ滞在して、適当な時間に帰ってこれます。

ビルバオからゲルニカまでは緑豊かな山の中を走り、ゲルニカからベルメオまでは川沿いや海沿いを走るので、車窓からの景色も楽しめる日帰り旅です。

ゲルニカ

ゲルニカ(Gernika)は、スペイン内戦中の1937年にフランシスコ・フランコ率いる反乱軍を支持するナチスドイツによって空爆が行われたことで知られる町。

この時、空爆のことを知ったピカソが、パリ万博のために描いた作品が、あの有名な「ゲルニカ(Guernica)」。ゲルニカの町の中には、ピカソのゲルニカの壁画(陶板製のレプリカ)がありました。

ちなみに、ピカソのゲルニカのオリジナルはマドリードのソフィア美術館で観ることができます。

今回ゲルニカを訪れたことは、スペインの近代史について興味を持つきっかけとなりました。今まで中世のスペインについてはある程度知識がありましたが、スペインの近代史については、まったくと言っていいほど知識がなかったんですよね。

せっかくなので、この時代のスペインの歴史を簡単にまとめておきたいと思います。(興味のない方はスルーしてね。)

スペインでは、1931年のスペイン革命により国王はフランスに亡命。王制は廃止され、共和国となりましたが、その後、国内で左派と右派のイデオロジーが対立するようになります。1936年には人民戦線政府(左派)に対して反乱軍(右派)がクーデターを起こし、1939年までの約3年にわたり激しい内戦が続きます。この時、人民戦線政府側を支援していたのがソ連、反乱軍側を支援していたのがナチス・ドイツとイタリアです。

反乱軍を率いていたフランコ将軍は、人民戦線政府側を支持していたバスク地方を掌握するために、ゲルニカの空爆をドイツ軍に依頼。1937年4月26日にドイツ軍により行われた無差別空爆では、町の建物の85%が破壊され、多くの民間人が犠牲になりました。

内戦は結局、1939年に反乱軍が勝利をおさめ、スペインでは反乱軍を率いていたフランシス・フランコによる独裁政治が1975年まで続きました。

興味深いのは、スペイン内戦が終了した直後に勃発した第二次世界大戦では、フランコ将軍は、3年間続いた内戦で国内がぼろぼろになっているから、という理由で、ナチス・ドイツ側には加担せず、中立を保つという方針をとっているんですね。

フランコ将軍による独裁政治は、1975年にフランコ将軍が死去したことで終わりを迎えます。そして政権を継承したのが、フランコ将軍によって後継者として指名されたファン・カルロス1世(スペイン革命で亡命した国王の孫)です。これにより、スペインでは王制が復活します。

フランコ将軍の政治形態を引き継ぐだろうという大方の予想に反して、国王はスペインの民主化を進め、スペインは立憲君主国となりました。

こういった歴史を経て、今現在のスペインがあるわけですね。

スペイン内戦でソ連が後ろ盾をしていた共和党政権が勝利してたら? スペインが第二次世界大戦に参戦していたら? フランコから政権を引き継いだ国王が民主化を進めていなかったら? とかね、いろいろと考えは尽きません。

さて、そんな歴史に見舞われたゲルニカの町。当然ながら、中世の街並みは残っていません。

現在のゲルニカの街並み

でも、1937年の爆撃を生き残った建物もあります。

中でも必見なのが、ゲルニカ議事堂(Casa de Juntas de Gernika)です。

この議事堂は19世紀に建てられましたが、この場所では、中世からバスク地方の議会が行われていました。かつては、樫の木の下で集会が行われていたため、議事堂内の部屋の天井には、樫の木が描かれた見事なステンドグラスが施されています。

議事堂の敷地内には今でも樫の木が植えられていて(現在の樫の木は4代目)、バスク地方の自治の象徴となっています。

ベルメオ

ゲルニカから電車で20分ほどのところにあるベルメオ(Bermeo)は、古くから漁業で栄えた町。

旧港に面した旧市街には、カラフルな建物が並んでいて、港沿いにはバルがずら~り。

この日は、町の広場で、Arrain Azoka と呼ばれる漁業と水産業のフェアが行われていて、ツナやアンチョビの缶詰、バカラオ(塩漬けのタラ)といった地元の産物を売る屋台や、それらを使ったタパスを売る屋台が並び、多くの人で賑わっていました。

海辺の町は、やはり雰囲気が明るくていいですね。バルセロナ以降、ずっと内陸の町が続いていたので、良い気分転換になりました。ビルバオからは、電車の他、バスを利用して訪れることもできます。

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