2015年2月 中東旅行 [9]
ヨルダンの死海のリゾートに1泊した後は、ヨルダン南部にあるペトラ遺跡へ。
ペトラ (Petra) は、紀元前2世紀ごろ 遊牧民のナバタイ人 (Nabataeans) によって築かれ、メソポタミアやエジプトを結ぶ貿易の要衝として、紀元前1世紀から紀元後1世紀の間に最盛期を迎た古代都市です。
106年にはローマ帝国に併合され、以後も繁栄が続きましたが、その後、363年の大地震による被害、および貿易ルートのシフトにより町は衰退。663年にアラブによって地域が制服された時に街が放棄され、その後この地に住み着いたベドウィン(アラブの遊牧民族)が、ペトラへの出入口を秘密にしていたため、1812年にスイス人探検家によって発見されるまでは、人々に忘れ去られていたという遺跡です。
ペトラ遺跡は、世界で一番行ってみたい場所と言っても過言ではないくらい、長年憧れていた場所。
運悪く、というか何と言うか、オーストラリアを出発する数日前にISIS関連の事件で、ヨルダンが一躍脚光を浴びてしまったので、正直ヨルダン行きをどうするべきか迷わなかったといえば嘘になりますが、信頼できる情報をもとに検討した結果、今回訪れるエリアは、現時点では危険ではないと判断して、それでもドバイ・オマーン滞在中に情勢が変化するようならヨルダン入りは中止する覚悟でオーストラリアを出発しました。結局、何事もなく、無事、念願のヨルダンを旅行して帰ってくることができました。
さて、ペトラ遺跡があるのは、ヨルダン南部のワディ・ムーサ (Wadi Musa) という町。
ワディ・ムーサの町外れにあるペトラ遺跡のビジターセンターから遺跡内に入ると、まずは、バーブ・アル・シーク (Bab as-Siq) と呼ばれる平坦な道が1キロ弱続きます。(左側は馬に乗った人用の道、右側は徒歩の人用の道)
こちらは、ジン・ブロック (Djinn Blocks) と呼ばれる方形の遺跡
紀元前50年〜紀元後50年ぐらいの間に造られたもので、墓のようなものだったのではないかと言われているそうです。
こちらは、オベリスクの墓 (Obelisk Tomb)
紀元後1世紀頃に造られたもので、このオベリスクは、エジプトとギリシャ・ローマの影響が見られます。
ナバタイ人は、独自の文化に、外部の文化(ギリシャ・ローマ、エジプト、メソポタミア)を融合させた建造物を築いたので、ペトラ遺跡では、様々な文化が融合した美しい建造物を見る事ができます。
バーブ・アル・シーク(シークへ続く道)を歩いた後に現れるのが、シーク (The Siq) と呼ばれる道。
シークは、自然の力で形成された岩山の裂け目の間に続く道。
80メートルの高い崖の間を歩く道が、1.2キロほど続きます。
朝早く訪れたので、人も少なくて、ひっそり。 秘境の雰囲気満点!
壮大な崖の間を歩いていくと。。。
シークを抜けると、突如、目の前に、ピンク色の壮大な建物が現れます。
エル・カズネ (Al-Khazneh / 宝物殿 / Treasury)は、紀元前1世紀にナバタイの王の墓として造られ、後に神殿として使われたのではないか、と言われている建造物。円柱などの装飾も、全て、岩壁をくりぬいて造られたもの。
“宝物殿” の名は、頭頂部の壷型の装飾の中に古代ファラオの宝物が隠されているという、後にこの地に住み着いたベドウィンの伝説に由来ているんだそうです。
高い岩壁が両側に迫る間を1キロ以上も歩いて来た後、いきなり目の前にこの壮大な建物が現れるインパクトは、もう、言葉では言い表せない感動です!!
このエル・カズネのある場所は、四方を高い崖で囲まれた小さな広場のようになっているのですが、ここには、観光客用のロバやラクダが待機しています。
ここから、アウター・シーク (Outer Siq) と呼ばれる崖に囲まれた道を暫く歩いて行くと、いきなり視界が広がります。
ここは、ファサード通り (Street of Facades) と呼ばれ、ナバタイの岩窟墓が並んでいます。
少し高台になった所に登ると、無数の墳墓群に囲まれた谷が一望できて、これまた圧巻です!!
そして、この谷を更に奥へ歩いていくと現れるのが、岩山をくり抜いて造られた劇場の跡。
一見、ローマ様式の劇場に見えますが、1世紀頃ナバタイ人によって造られた劇場です。 舞台の背面の壁は、紀元後106年にペトラがローマ帝国に支配された直後に改築されているようです。
この劇場の近辺には、このような洞窟住居のようなものがたくさん見られます。
そして、ここから更に歩いていくと、右手上方の岩壁に、壮大な建造物がいくつも並んでいるのが見えてきます。
岩壁を削り込んで造られた王家の墳墓群 (Royal Tombs) です。
建造物が並んでいる崖の上の方まで、どうやら階段で登っていくことができるようなので、登ってみることに。。。
いくつも並んでいる王家の墳墓群の中で最も壮大なのが、こちら壷の墓 (Urn Tomb)。
紀元後70年頃に造られた王家の墓ですが、ペトラがローマ帝国の支配下となった後のビザンチン時代(5世紀中頃)には、キリスト教の教会として使われるようになったそうで、下部の2段のアーチ状になった部分はビザンチン時代に増築されたものだそうです。
この壷の墓の並びには、美しい墳墓がいくつも並んでいます。
コリント式の墓 Corinthian Tomb
宮殿のモニュメント Palace Tomb
これらの王家の墳墓が並んでいるこの場所は、今まで歩いて来た谷底から少し登った丘の上ににあるので、景色も素晴らしい!!
ここからは、谷底のメインのトラックに戻る事もできるのですが、景色が良いので、谷底には戻らずに丘の上のウォーキングトラックを少し徘徊。
遺跡も素晴らしいけど、山々の景色も素晴らしい!!
長くなったので、ペトラ遺跡の後半は、また明日。
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