イスタンブールのビザンチン文化遺産

トルコ

前回のブログでも少し触れましたが、イスタンブールは、1453年にオスマン帝国に征服されるまでは、コンスタンティノープルと呼ばれ、東ローマ帝国の首都だったところ。

そのため、イスタンブールでは、オスマン帝国以降〜現在のイスラム教文化に加えて、東ローマ帝国以前のキリスト教(ビザンティン)文化にも触れることができるんです。

コンスタンティノープル時代のビザンティン文化が最も顕著に残っているのが、アヤソフィア (Aya Sofya)

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このアヤソフィアは、532年から5年間かけて、東ローマ帝国皇帝の命によって建設されたキリスト教(正教会)の大聖堂だった建物です。

その後、1453年にコンスタンティノープルがオスマン帝国に陥落すると、アヤソフィアは聖堂からモスクへと改修され、その後約500年に渡りモスクとして使用されて来ましたが、現在は、聖堂でもモスクでもなく、博物館として一般に公開されています。

ちなみに、アヤソフィアというのはトルコ語の呼び名。正教会の大聖堂だった頃はハギアソフィア大聖堂 (Hagia Sofia) と呼ばれていました 。

 

アヤソフィアの建物の中に入って、まず、目を奪われるのが、金色に輝くモザイクで埋め付くされた内拝廊(聖堂に入る前のホールのようなスペース)の天井です。

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もの凄く細かいモザイクで出来ているので、まるで金箔を張ったように見えます。美しい!

 

そして、聖堂内に入ると、そこは、ビザンチン文化とイスラム文化の両方が共存する不思議な空間。

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アラブ文字が描かれた黒い円盤状のものは、オスマン帝国征服後にモスクとなった時に加えられたもの。

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ビザンチン時代のモザイク天井からぶら下がっているシャンデリアも、オスマン帝国征服後に加えられたもの。

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そして、極めつけは、聖堂の正面。

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モスクとなった時に設置されたミフラーブ(メッカの方角を示すもの)があって。。。

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そしてミフラーブの上の天井には、マリア様のモザイク画が。。。

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アヤソフィアには、この他にもビザンチン時代のキリスト教モザイク画がいくつも残っているのですが、イスラム教では偶像崇拝は禁止されているので、オスマン帝国征服後のモスクだった頃には上から漆喰が塗られていたんだそう。

なので、人物を描いたモザイク画は、アヤソフィアが博物館となった時に漆喰が剥がされて、再び人目に触れることになったという訳です。

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アヤソフィアが博物館になったのは1935年。 モスクから博物館に変えるという、トルコ共和国初代大統領アタチュルクの英断には大きな拍手を贈りたい!

 

さて、こんな見応えたっぷりのアヤソフィアは、イスタンブールで最も人気のある観光名所の1つなので、毎日もの凄い人数の観光客が押し寄せます。

私たちが訪れたのは10:30頃だったと思うのですが、チケット売場は想像を超える長蛇の列。クレジットカードでチケットが買える自動販売機もあるのですが、どうやら2台とも故障しているようでした。(窓口ではクレジットカードは使えずキャッシュのみでした。)

チケットは事前にネットでも購入できるようなので、事前購入しておくのがベストだと思います。

 

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アヤソフィアを訪れた後は、アヤソフィアのすぐ近くにある、バジリカ・シスタン(Basilica Cistern) へ。

バジリカ・シスタンは、532年に作られた東ローマ帝国の地下貯水槽。(“バジリカ” という名前がついているのは、この貯水槽の地上には、当時、Stoa Basilica という教会があったため。)

貯水槽には336本もの円柱が並んでいて宮殿のように見えるため、トルコ語では地下宮殿 (Yerebatan Sarayı) という名前で呼ばれている東ローマ帝国時代の史跡です。

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見渡す限り円柱が並ぶ様子は、正に、地下宮殿という名前がぴったり。

貯水槽の広さは9800平方メートルということなので、約3000坪ですね。

ボードウォークのような歩道が設置されていて歩けるようになっているのですが、下には水が貯まっているので、ヒンヤリとして、なんだか、お化け屋敷みたいです(笑)。

 

水の中には、魚が泳いでます。

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陽の光があたらないこんな暗い所に住んでて大丈夫なのかな。。。

 

よく見ると、使われている円柱は全て均一のものではなくて、微妙に形が違います。

こんな模様の柱。。。

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火の玉模様みたいで、益々お化け屋敷っぽい。

人が一杯だったので写真には撮りませんでしたが、土台にメドューサの頭がついた柱が有名です。

wikipedia によると、美的効果を必要としなかったために、有り合わせの柱を集めてきて作ったからなんだそう。 確かに、建設目的は、単なる貯水槽ですからね。

バジリカシスタンには、モザイク画のようなビザンチン文化があるわけではありませんが、地下宮殿という名前がピッタリな、東ローマ帝国時代の建築物です。

 

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私たちは訪れませんでしたが、イスタンブールには、この他にも、カーリエ博物館 (Kariye Museum) というビザンチン時代のモザイク画やフレスコ画が数多く残されている博物館(アヤソフィアと同じく、正教会がモスクに改修され、後に博物館となったもの)があります。

 

意図した訳ではないのですが、今回の旅では、スペインにおいてモスクが教会に改修された建築物を見学し、そして、イスタンブールでは、教会がモスクに改修された建築物を見学する、という事になったのは、とても興味深いことでした。

スペインにおいて、イスラム王朝時代の文化がレコンキスタ後のスペインの文化に影響を与えたように、イスタンブールにおいても、東ローマ帝国時代に建てられたアヤソフィアの建築様式が、オスマン帝国のモスクの建築様式に影響を与えています。

次回のブログでは、イスタンブールのモスクを紹介したいと思います。

 

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