[2016年1月20日~30日 スリランカ旅行記⑤]
スリランカ第三日目は、いよいよシギリヤロックへ登ります。
シギリヤ ロック (Sigiriya Rock) は、スリランカ中部に聳え立つ岩山。
ジャングルの中に忽然と聳え立つその景観だけでもスゴイんですが、ここは、5世紀にカッサバ1世が都を築いた場所。岩山の周りには水路や庭園などの遺跡、中腹には「シギリヤレディ」と呼ばれる壁画、そして頂上には王宮や貯水池のの遺跡が残っており、ユネスコの世界遺産になっています。
シギリヤロックの頂上まで、ほぼ垂直に切り立った崖を登っていくので、かなり大変、と聞いていたので、「う~ん、へなちょこな私に登れるかなあ。」と、ちょっと心配しながらの出発。
シギリヤロックの麓には、庭園や水路などの遺跡が残っています。
これらの遺跡は今でも大部分が土に埋もれたままになっていて、今でも発掘が続けられています。
シギリヤロックに近づくにつれて、大きな岩が多くなり、次第に階段も急になっていきます。
そして、この後登るのが、シギリヤロックの表面に設置された、この鉄製の螺旋階段。
この螺旋階段はシギリヤロックの頂上に登るための階段ではなく、シギリヤロックの中腹にある洞窟のような空間に辿り着くための階段です。 この螺旋階段を登ったところにある洞窟にあるのがこちら。 シギリヤレディと呼ばれるフレスコ画。
岩の表面を漆喰で覆い、その上に美しい女性の絵が描かれています。以前は写真を撮っても構わなかったそうなんですが、残念ながら今は写真撮影は禁止。なので、上のシギリヤレディの写真はwikipedia のものを拝借しています。
それにしても、このフレスコ画がある場所、今は螺旋階段が設置されているからここまでやって来れるけど、この絵を描いた人は、どうやってこの場所に辿り着いたのか。。。 それは未だに謎なんだそう。
更に驚きなのが、今ではフレスコ画はこのエリアにしか残っていないのですが、当時は、シギリヤロックの表面の部分もフレスコ画で覆われていたらしいのです。
美しいシギリヤレディのフレスコ画を鑑賞した後は、螺旋階段を下り、今度は頂上を目指します。ミラーウォールと呼ばれる壁に囲われた緩やかな登山道を登った後は、再び急な階段が続きます。
そして、王宮への入口「ライオンゲート」へ到着。
今では、ライオンの前足とレンガの土台部分しか残っていませんが、当時はこの上にライオンの顔があり、ライオンの口の中へ入って登っていくようになっていたそうです。
さて、このライオンゲート、王宮への入口と言っても、ここから王宮までの道はまだまだ遠い!!
岩の表面に設置された鉄の階段をひたすら登ります。 鉄の階段なので下がスケスケ、標高も高いので、結構怖いです。。。
そして、遂に、シギリヤロックの頂上に到着!!
いや~、素晴らしい景色です!!
頂上には王宮の遺跡が残っています。
今は土台しか残っていませんが、いったいどんな建物が建っていたのでしょう? それにしても、こんな場所に王宮を建てるなんて、凄いです。
カッサバ1世が、腹違いの弟に王位継承権があることを不満に思い、父親を殺害して王位を奪ったのが西暦477年。王位を手に入れたカッサバ1世は、腹違いの弟の報復を恐れ、アヌラーダプラからシギリヤに都を移し、シギリヤロックの頂上に王宮を完成させます。 しかし、結局は、弟に王位を奪還され、西暦479年にカッサバ1世は自害。都は再びアヌラーダプラへと移されました。 なので、シギリヤに都があったのは、わずか20年足らずです。
さて、ひとしきり山頂の王宮跡を散策した後は、登ってきたのと同じ鉄製階段を下りて、ライオンゲートへと戻ります。 そして、その後は、来たルートとは別のルートを下りて行きます。
登りよりは楽ですが、ずっと階段なので、最後のほうは膝がガクガクしてきちゃいました。
気温も湿度も高いので、かなり疲れましたが、念願のシギリヤロックの頂上まで登ることができて感激!! 素晴らしかったです。
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