青の都 サマルカンド

ウズベキスタン

2019年9月 ウズベキスタン旅行記⑤ 

ブハラに2泊した後は、サマルカンドへ移動。ブハラからサマルカンドへは、アフラシャブ号という高速鉄道でたったの1時間半。スペイン製のモダンな車両で、とても快適な移動でした。

サマルカンド(Samarkand)は、ブハラと同様に、古代からシルクロードの拠点として大変栄えていましたが、13世紀前半に、モンゴル帝国のチンギス・ハンにより、徹底的に町が破壊されてしまいました。しかし、その後、1370年に建国されたティムール朝の首都として復活。ティムール朝時代には、チンギス・ハンに破壊される前に町があったアフラシャブの丘の南側に新しく町が築かれ、数多くの美しいイスラム建造物が建造されました。このティムール朝時代に築かれた町が、今日、サマルカンドの旧市街と呼ばれるエリアです。

ちなみに、今現在のサマルカンドは、旧市街周辺でさえも、かなり近代的な町になっています。

ティムール朝崩壊後、一時期かなり退廃していたことや、地震が多かったことが起因しているのかもしれませんが、歴史的に重要な建造物は再建・修復されているものの、昔ながらの一般家屋や街並みはあまり残っていません。

なので、サマルカンドは、町全体の雰囲気を楽しむというよりは、町に点在する歴史的建造物を巡って楽しむ町。主な観光名所は、旧市街周辺に纏まっているので、徒歩で観て周ることができます。

「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる青を基調としたメドレセやモスクや霊廟は、目を見張るほど美しくてエキゾチック!タージマハル級に美しい建造物がいっぱいです。

レギスタン広場(Registan)

サマルカンドのランドマークとなっているのが、レギスタン広場

15世紀~17世紀にかけて建てられた3つのメドレセ(神学校)に囲まれた美しい広場です。ちなみに、広場を囲む3つのメドレセは、現在は神学校としては使われておらず、内部には土産物屋が並んでいます。

広場に向かって左側に建っているウルグベク・メドレセ(Ulugbek Medressa)は、後にティムール朝第四君主となったティムールの孫ウルグベクにより1420年に完成した神学校。

天文学に関心があったウルグベクに因み、ファサードには星の模様が施されている。
内部には土産物屋が並ぶ。

広場に向かって右側に建っているのが、1636年に完成したシェルドル・メドレセ(Sher Dor Medressa)。偶像崇拝を禁止するイスラム教の神学校なのに、ファサードには、顔の付いた太陽を背負ったライオンと鹿が描かれています。

このライオンのモチーフは、ウズベキスタンのお札の模様にもなっている。
玉ねぎ型のブルーのドームがエキゾチック

そして、広場の正面に建っているのが、1660年に完成したティラカリ・メドレセ(Tilla-Kari Medressa)。このメドレセにある礼拝堂内部は、ブルーとゴールドで装飾が施されており、見事です。

レギスタン広場は、夜になるとライトアップされて、更に美しいです。

なんだか、ディズニー映画のいちシーンみたい!!

ビビハニム・モスク(Bibi-Khanym Mosque)

ビビハニム・モスクは、1404年に、ティムール朝初代君主ティムールが建てた巨大なモスク。レギスタン広場から歩いて10分ぐらいのところにあります。

建設当時は、イスラム教世界で最も大きなモスクだったのですが、完成直後からドームの崩壊が始まり、更には、度重なる地震による被害で、一時期は廃墟となっていました。旧ソ連統治時代に修復されましたが、今現在でもメインのドームの内部は、まるで廃墟のような状態です。

修復が施された外観
タイルの装飾は美しく修復されているものの、土台にはひびが入っているのが見える。
正面に建つメインのドームの内部は、今でも修復されておらず、まるで工事現場のよう。

当然ながら、今現在はモスクとしては使用されていません。

シャーヒ・ズィンダ霊廟群(Shah-i-Zinda)

サマルカンドの町の北東、アフラシャブ丘の上には、シャーヒ・ズィンダと呼ばれる霊廟群があり、数えきれないほどたくさんの霊廟がずらりと並んでいます。中には11世紀~12世紀頃に建てられたものもあるそうですが、大半は、14世紀~15世紀に建てられたもので、ティムールの親族や、ティムール朝の要職についていた人たちが葬られています。

ブルーのタイルで装飾された美しい霊廟が建ち並ぶ。
どこを見てもブルー! 正に青の洪水!
霊廟の内部も美しい。

霊廟群の一番奥には、7世紀にイスラム教を伝えるためにサマルカンドにやってきたクサム・イブン・アッバースを祀る霊廟があり、廟内にある礼拝所では、女性たちがお祈りをしていました。(男性用の礼拝所は別にあるのだと思います。)

シャーヒ・ズィンダ霊廟群は、聖地として多くの人々が巡礼に訪れる神聖な場所です。美しい建造物が目白押しのサマルカンドですが、ここでは、特に、心にぐっとくる厳かな雰囲気に感動。サマルカンドの中で、最も気に入った場所でした。

ちなみに、この霊廟群があるアフラシャブの丘は、チンギス・ハンによって破壊される以前のサマルカンドの町があった場所です。アフラシャブの丘には、12世紀以前の城壁の跡などは遺跡として若干残っているようですが、その頃の街並みは残念ながら残ってはいません。

グーリ・アミール霊廟(Gur-e-Amir Mausoleum)

グーリ・アミール霊廟は、ティムール朝の初代君主ティムールや彼の息子・孫たちが眠る霊廟です。(シャーヒ・ズィンダ霊廟群とは、まったく別の場所にあります。)

ここは、なんといっても、内部の装飾が素晴らしい! 墓石が並ぶ部屋の壁や天井に施された、ブルーとゴールドの装飾は、言葉を失うほどの美しさです。

シヨブ・バザール(Siob Bazaar)

シヨブ・バザールは、ビビハニム・モスクのすぐ隣にある大きな市場。

この市場では、様々な人種の人たちが、様々なものを売っています。

シルクロードの拠点として東西文化が行き交ったサマルカンドの歴史を感じることができて、とても楽しかった! 主に食料品の市場ですが、陶器など、お土産になりそうなものも売っています。

ちなみに、シヨブ・バザールは、月曜日はお休みです。

ロシア街(Russian Town)

サマルカンドは、1868年にロシア軍に占領され、以後、ロシア帝国の一部となります。この時代に築かれたのが、旧市街の西側に広がるロシア街と呼ばれるエリアです。公園や街路樹などの緑が豊かで、ヨーロッパ的。ちょっとタシケントの街並みに似ています。

ティムール像

私たちは、旧市街にある小さな宿に泊まったのですが、近代的な大きなホテルに泊まりたい場合は、このロシア街のエリアに宿泊することになります。

ロシア街には、観光名所となるような歴史的建造物はないのですが、レストランに関しては、旧市街周辺よりもロシア街のほうが圧倒的に充実しています。

ロシア街にあるOld City Restaurantという可愛らしいレストラン
旧市街の街並み

上にも書きましたが、サマルカンドは、旧市街と呼ばれるエリアでも、かなり近代的な街並みになっています。

例えば、レギスタン広場周辺も、まるでヨーロッパの公園のように綺麗に整備されるし

レギスタン広場からビビハニム・モスクへ向かう通りも、こんな近代的な感じです。

綺麗に整備されているのはいいんだけど、ちょっとディズニーランドちっくというか。。。 あまり古都らしい風情を感じることができないのが玉に瑕。

唯一、鄙びた昔ながらの雰囲気が残っているのが、レギスタン広場からビビハニム・モスクへ向かうタシケント通りの東側のエリアと、グーリ・アミール霊廟の裏手のエリアです。

決して美しい街並みではありませんが、地元の人が通う小さなモスクがあったり、土釜でナンを焼いていたり、ロバがいたり。。。 昔ながらの生活様式が垣間見えて面白いので、時間が余ったら、散策してみると良いかもしれません。

サマルカンドで泊まった宿

サマルカンドでは、旧市街にあるMuzaffar Hotel Samarkandという家族経営の小さなホテルに泊まりました。

ホテルという名前になってますが、どちらかというとB&Bみたいな感じ。土足厳禁で、とーっても清潔。なんだか日本のお家に泊まってるみたいな感じで、非常に快適でした。宿を取り仕切っているおばさんは英語が通じないのですが、息子さんと思われる方は英語がしゃべれます。私は気づかなかったのですが、Booking.com のレビューを読んでいると、日本語がしゃべれる方もいらっしゃるようですね。

ヒヴァ、ブハラ、サマルカンドと、3都市とも、B&Bみたいな小さなホテルに泊まったのですが、私は、サマルカンドで泊まったこのMuzaffar Hotelが最も気に入りました。レギスタン広場へも近く(徒歩7分ほど)、観光にも便利。おすすめです!

→ Muzaffar Hotel Samarkand (Booking.com で予約できます)

サマルカンドへのアクセス

ブハラから: 高速鉄道アフラシャブ号で約1時間半

タシケントから: 高速鉄道アフラシャブ号で約2時間10分

→ 鉄道のチケットの手配などについては、こちらのページに纏めてありますので、ご参照ください。

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