ムガル帝国の古都アーグラ  アーグラ城塞

インド

デリーに2泊した後、向かったのは、アーグラ (Agra)

デリーからアーグラまでは昨年開通したばかりの Yamuna Expresswayという高速道路で200キロちょっと。 新しいだけあって、インドとは思えないような(失礼!)とてもきちんと整備された道路なのですが、結局はデリーの町を出るまでの交通渋滞と、アーグラの町に入ってからの交通渋滞で、4時間ぐらいかかったような気がします。

さて、お恥ずかしい話なのですが、私、アーグラっていうのは、タージマハルがあるだけの小さな田舎町だと思い込んでまして。。。

ところがどっこい、アーグラは、ムガル帝国の最盛期に首都だったところなので、ムガル帝国時代の見所が満載の古都だったわけです。

今回のインド旅行では、訪れた各都市で半日ぐらいずつガイドさんをお願いして案内をしていただいたのですが、アーグラで私たちについてくれたのは、とても知識豊かで熱心なガイドさんでした。 このガイドさん、西城秀樹と織田裕二を足して2で割ったような好青年なのですが、説明をさらっと聞き流したりしてると、たまに「シャージャハーンっていうのは誰だっけ?」とか「ここを建造したのは誰だっけ?」とか、まるで学校の先生のようにチェックが入ります(笑)。おかげで、ムガル帝国の歴史に一気に詳しくなっちゃいましたよ。

ムガル朝が「帝国」と呼ばれるほど大きく発展したのは、第3代皇帝アクバルの時代です。

アクバルは、1558年に首都をアーグラに移し、1565年から8年間に渡り、もともとあったローディ朝の旧城塞に大規模な改修を加え、アーグラ城塞を築きました。そして、このアーグラ城塞は、その後3代に渡って、ムガル帝国の皇帝の居城となります。

アマル・シン門から城壁の中に入ると

その内側には、また高い城壁が。。。

最初の城壁の外のお堀にはワニが放たれ、外側の城壁と内側の城壁の間の陸地にはトラが放たれていたんだそう。 で、それでもさらに侵入してくる者にはこの高い城壁の上から熱い油が放たれ、さらにここから続く緩やかな坂道になった通路では、巨大な岩が転がってくるという仕掛けになっていたそうです。

そして、この重厚な2重の城壁の内側には、公謁殿やモスク、皇帝の寝殿などの建物や、庭園などが広がっています。

こちらは、アクバルが息子ジャハーンギールのために建てたジャハーンギール殿。 (ジャハーンギールは、アクバルの跡を継ぎ、第4代皇帝となった人です)

こちらは、このジャハーンギール殿の中庭なんですが、柱や梁の感じが、ヒンドゥー建築みたいだと思いませんか?

木彫りのように見えますが、全て赤いサンドストーンで出来ています。

ムガル帝国は、アクバルの時代に領土を拡大して、多くの非イスラム教徒を抱えるようになったのですが、アクバルは、政治的にも文化的にも他の宗教に寛容で、宗教の融合を理想としていたということで、建物にもその傾向がよく表れています。 この、他宗教に対して寛容な方針は、アクバルの孫のシャー・ジャハーンの代まで続くことになります。

赤い城 (Red Fort)という別名があるくらい、赤いサンドストーンが見事なアーグラ城塞ですが、突然、こんな真っ白な大理石の建物が現れます。

第5代皇帝のシャー・ジャハーンが改築した部分です。

シャー・ジャハーンは、あのタージマハルを建てた人。白い大理石がホントに好きなのね。

こちらは、ムサンマン・ブルジュという名前の塔で、こちらもシャー・ジャハーンによって建てられたものです。

白い大理石に貴石が嵌め込まれた象嵌細工があちこちに散りばめられています。

デザインといい、色合いといい、なんて上品で美しいんでしょう!!

この第5代皇帝のシャー・ジャハーンは、こんな風に、大理石を使ってアーグラ城塞を改築したり、タージマハルを建てたり、後にデリーに遷都してそこにもアーグラ城塞とそっくりな城塞を建てたり、と、その浪費が原因で、1659年に自分の息子であるアウラングゼーブ (第6代皇帝) に、アーグラ城塞のこの美しいムサンマン・ブルジュの部屋に幽閉されてしまうんですよ。 シャー・ジャハーンは、遠方に見えるタージマハルを眺めながら、1666年に亡くなるまでこの部屋で過ごすことになります。

ちなみに、敬虔なスンニ派のイスラム教徒であった第6代皇帝のアウラングゼーブは、曽祖父のアクバルの時代から方針とは打って変わって、保守的な宗教政策をとるようになり、ヒンドゥー寺院を破壊するなど、イスラム教以外の宗教の弾圧を行うようになりました。 その結果、異教徒の激しい反乱が各地で頻発するようになり、ムガル帝国は次第に衰退していきます。

ということで、アーグラには、主に、アクバル、ジャハーンギール、シャー・ジャハーンの3代に渡るムガル帝国最盛期の見所がたくさん残っているわけです。

アーグラ城塞は、そのムガル帝国最盛期の集大成を見ているようで、とても見ごたえのあるところでした。

さて、アーグラでは、ITC Mughal Hotelというホテルに宿泊。アーグラには1泊しか泊まらなかったので、正直ホテルライフを楽しむ時間はあまりありませんでしたが、ま、可もなく不可もなくって感じのホテルです。(私達が訪れた時には、所々で改装工事が行われていたので、改装が終ればもっとゴージャスな感じになるのかもしれません。)

→ アーグラのホテルを探す

 

 

コメント

テキストのコピーはできません。

SOWHATの世界旅日記をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

タイトルとURLをコピーしました