マテーラの洞窟住居

イタリア

イタリア南部バジリカータ州のマテーラ (Matera) は、洞窟住居 (サッシ Sassi) が密集して旧市街を形成していることで有名な町で、マテーラのサッシ群は、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

「洞窟住居」と言っても、洞窟の穴が並んでいるわけではなく、洞窟の入り口部分に石のブロックを接ぎ足して建物のようにしてあるので、崖や斜面に石造りの建物がびっしり張り付いているような外観になっています。

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こんな建物が、幾重にも重なるように、見渡す限り続いているマテーラの旧市街。

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なんだか時が止まってしまったかのよう。

 

マテーラ周辺の石灰岩の洞窟には先史時代から人が住んでいたそうで、古代ローマ時代にも集落はあったようですが、岩場から採掘したブロックを洞窟の入り口部分に接ぎ足して、現在のようなサッシ地区が形成されたのは中世のこと。

7世紀に、イスラム勢力に追われ、カッパドキア、アナトリア(現在のトルコ)、 アルメニアなどから逃れてきた多くの修道士がマテーラの洞窟に住み着くようになり、高度な石灰岩掘削技術と、洞窟の中で暮らすという文 化をもたらしたことが始まりのようです。

洞窟を利用し、岩場を掘り抜いて教会を作り、岩から切り出したブロックを洞窟に接ぎ足して居住部分を拡大していき、次第に現在のようなサッシ地区が出来上がっていったわけです。

その後、マテーラは、1663年にバジリカータ州の州都となり、 1806年に州都がポテンツァに遷都されるまで、繁栄の時を迎えます。

マテーラを訪れて、ちょっと驚いたのが、マテーラの旧市街には、サッシ地区のような洞窟住宅だけではなくて、エレガントで立派な建物がたくさんあるということ。

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これらのエレガントな街並みは、バジリカータ州の州都だった頃の名残なんですね。

ところが、1806年に州都が移転された後、マテーラの経済は下降線をたどり、貧困に窮した人々がそれまで倉庫や家畜小屋として使われていた洞窟にまで住み着くようになり、サッシ地区はスラム化していきます。この状態は戦後まで続き、この頃のサッシ地区は、あまりの劣悪な生活環境と不衛生さから、南イタリアの悪夢とまで呼ばれたんだそうです。

そして、ついに、政府はこの状況を対処すべく、1953 年から1968年にかけて、サッシ地区に住んでいた人々を、新しく建設した新市街の住居へと強制的に移動させます。

その結果、サッシ地区はゴーストタウンのような廃墟となってしまいますが、その後、政府がサッシ地区の保存に乗り出し、1993年にはユネスコの世界遺産に登録され、再びサッシ地区に人が戻ってきたというわけです。 Wikipedia によると、現在では、洞窟住居の約5分の1が再利用されているんだそうです。

[上記の洞窟住居の歴史については、Casa Grotta di Vico Solitario (当時の洞窟住居の内部を再現した展示場) のウェブサイトを参考にさせていただきました]

 

現在、マテーラのサッシ地区には、洞窟住居を利用した素敵なレストランや、バー、ホテルなどがたくさんあるのですが、マテーラが観光に力を入れるようになってから、まだ日が浅いんですね。

前回ブログで書いたとってもロマンチックな洞窟ホテルも、わずか45年ほど前まで人々がここで過酷な生活をしていたんだと思うと、とても厳粛な気持ちになります。

今回、マテーラの町には、ホントにホントに圧巻させられました。 なんていうのかな、無言の威圧感みたいな重みがある町なのです。。。

わずか1泊2日でしたが、しっかりマテーラの町を歩き回ってきたので、次回のブログではマテーラの美しい景色などを紹介したいと思います☆

 

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