ラトビアの首都リガ

ラトビア

2019年5月~6月 ヨーロッパ旅行

リトアニアのヴィリニュスに2泊した後は、隣国ラトビアの首都リガへ移動。ヴィリニュスからリガへは、高速バスで約4時間半。私たちはecolineという会社のバスを利用しました。バスのチケットは、事前にインターネットで購入可能。座席指定もできます。車窓からは、のどかな景色がずっと続き、あまり変化がないので、車中ではほとんど寝てたかなあ。。。

ラトビアの首都リガ (Riga) は、13世紀にハンザ同盟に加盟し、貿易拠点として発展を遂げた町。リガの旧市街にはメルヘンチックな街並みが広がっていて、同じバルト三国でも、リトアニアのヴィリニュスとは、町の雰囲気がまったく違います。

リガの町は「バルト海の真珠」と呼ばれ、美しい建造物がたくさんあることで知られています。ガイドブックや観光局のウェブサイトなどに載っている美しい建物の写真を見て、さぞかし美しい町なんだろうなあ、と、とても楽しみにしていました。

ところが、実際に訪れてみると、確かに美しい建物はたくさんあるのですが、旧市街の中でさえ、美しい歴史的建造物のすぐそばに、戦後建てられた味気ない建物が建っていたりして、第二次世界大戦時のナチスドイツとソ連による侵攻、そして、戦後のソ連占領下の共産主義時代の爪痕をひしひしと感じる町でもありました。

リガの主な見どころは旧市街に集中していますが、リガの町の歴史的な変遷を肌で感じるためにも、新市街のユーゲントシュティール建築群や、リガ中央市場があるマスカヴァ地区にも、是非足を伸ばしてみることをおすすめします。

<リガ旧市街>

ダウガヴァ川の東岸に位置するリガには、12世紀後半ごろからドイツ商人が入植。1282年にはハンザ同盟に加盟し、貿易拠点として急速に発展を遂げました。そのため、リガの旧市街には、北ドイツ風の街並みが広がっています。

リガの旧市街は、とてもコンパクト。端から端まで歩いても1キロもありません。主な見どころは、500メートル四方ほどのエリアに集中しています。

聖ペテロ教会

リガ旧市街には数多くの教会がありますが、最も目を惹くのが聖ペテロ教会です。

空高く聳え立つ尖塔が印象的な聖ペテロ教会

聖ペテロ教会の起源は、13世紀初頭まで遡りますが、第二次世界大戦中に焼失してしまったため、現在の建物は戦後再建されたものです。

ブラックヘッドの館

ブラックヘッドの館は、独身の貿易商人が集まる集会場として14世紀前半に建てられたのですが、第二次世界大戦中に空襲で破壊され、戦後ソ連により完全に撤去されてしまいました。現在、リガ旧市街のランドマークとなっている、このブラックヘッドの館は、1999年に再建されたものです。

わずか20年前に再建された建物なので、外観は、ちょっとピカピカすぎて、まるでテーマパークのような感じもしなくはありませんが、内部は博物館のようになっていて、なかなか見ごたえがあります。

ブラックヘッドの館内部の美しい集会場
地下には、もともとの建物の遺構と思われる部分も残っている

リガ大聖堂

リガ大聖堂は、1211年に建造され、その後500年以上の年月をかけて増改築が繰り返されました。

聖堂内の巨大なパイプオルガンも有名ですが、私が気に入ったのは、聖堂に隣接するエリア。かつて修道院だった場所が、リガの歴史と海運に関する博物館として利用されていて、様々な展示がされているんです。

ルター派の大聖堂なので、華美な装飾などはないのですが、展示がされている回廊部分は、とても美しい空間です。

リガ城

旧市街北部、ダウガヴァ川の川岸に建つリガ城は、1330年に建造され、その後16世紀に再建されました。

あまりぱっとしない外観のリガ城

現在は、大統領官邸となっていて、内部見学はできません。

三兄弟の家

旧市街のマザーピルス通りには、「三兄弟の家」と呼ばれる可愛らしい3つの建物が並んでいます。

これらの建物は、右から順番に、15世紀後期、17世紀中頃、17世紀後期に建てられたもの。一番右の建物が建てられた頃は、窓の大きさにより課税されたため、とても小さな窓が並んでいます。

スウェーデン門周辺

リガの町は、1621年から約90年間、スウェーデン王国の支配を受けました。旧市街北部にに今も残る「スウェーデン門」は、この時代に造られたもので、当時スウェーデン兵がこの門を頻繁に利用したことから、この名がつきました。

スウェーデン門の向かいには、かつて、スウェーデン兵の兵舎だった建物が残っています。

この建物は、現在は、商業施設として利用されており、素敵なレストランや雑貨のお店などが並んでいます。

スウェーデン門から東へ向かって歩くと、レンガ造りの大きな塔が現れます。

かつては、リガの街を取り囲んでいた城壁の一部だったもので、その後、幾度もの再建を経て、17世紀には火薬庫として使用されていたため、「火薬塔」という名前がついています。現在は、ラトビア戦争博物館として利用されています。

ライフル部隊の像とラトビア占領博物館

こうやって、旧市街の見どころの写真を並べると、まるで中世の街並みがそっくりそのまま保存された町のように見えるでしょ?

でも、実際には、リガの旧市街を歩いていると、ソ連占領下の共産主義時代に建てられたと思われる違和感のある建物が、突然現れたりもするんです。

こちらは、共産主義時代の1971年に建造されたラトビアライフル部隊の像。

このラトビアライフル部隊の像が建つ広場には、ラトビア占領博物館があり、ラトビアが、ナチスドイツとソ連によって占領をうけた時代(1940年~1991年)の歴史について学ぶことができます。私が訪れた時は、この博物館が改築中で、別の場所に移っていたため、見学しそびれてしまい、とても残念でした。

<リガ新市街>

旧市街の火薬塔から東に向かって歩くと、緑豊かな公園地帯に出ます。

ここから先が、リガの新市街です。

自由の記念碑

公園を流れる水路を渡ると、空高く聳え立つ「自由の記念碑」が現れます。

ドイツ→ポーランド・リトアニア→スウェーデン→ロシア帝国と、様々な国の支配を受けたラトビアが最初に独立を果たしたのは、1918年のこと。「自由の記念碑」は、ラトビア独立戦争での戦死者を追悼するために、1935年に建設されました。

その後間もなく、ラトビアはソビエト連邦に併合され、第二次世界大戦中にはナチスドイツに占拠され、戦後は再びソ連に併合。1991年にようやく二度目の独立を宣言。

今でも、自由の記念碑は「ラトビアの自由のシンボル」として、人々に大切にされています。

ユーゲントシュティール建築群

18世紀にロシア帝国の支配下となったリガの町は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、産業的に大きく発展を遂げ、ロシア帝国第三の都市となりました。リガの新市街には、この時代に建てられた壮麗なユーゲントシュティール様式(アールヌーボー様式)の建造物が無数に点在しています。

特に、新市街のアルベルタ通りには、華美な装飾が施されたユーゲントシュティール建築が道の両側に並んでおり、圧巻です。

旧KGB本部

こちらは、かつてKGB本部があった場所。今は、博物館として公開されています。

リトアニアのヴィリニュスでも旧KGB本部の内部を見学したので、今回はもういいや、と思って、内部見学はしませんでしたが、なんか、入口を見ただけで、怖さがひしひしと伝わってきますよね。

マスカヴァ地区

マスカヴァ地区は、旧市街の南に広がるエリアです。この地区の一番の見どころは、リガ中央市場です。

リガ中央市場

旧市街から鉄道の線路を越えた南側にあるリガ中央市場は、1930年にオープンした歴史ある市場。巨大なドーム型の建物は、かつて、ドイツの飛行船の格納庫用に作られたものなんだそうです。

この市場で、最も、私の眼を惹いたのが、魚の燻製です。

ものすごーく色んな種類の魚の燻製が売ってるんですよ。

そして、こちらは、魚の干物でしょうか??

こんな風に、入れ物に挿して売ってるのが面白いですね!

屋内市場の他に、屋外にも屋台が並んでいて、食料品の他にも、お花や雑貨など、様々な商品が売られてました。

マスカヴァ地区の街並み

中央市場を散策した後は、その周辺を少し散策してみたのですが、この辺りには、古い木造建築や、共産主義時代に建てられたと思われる建物がたくさん残っています。

木造の教会
古い木造家屋
共産主義時代を思わせる街並み
共産主義時代に建てられた大学

シナゴーグ跡とホロコースト博物館

そして、マスカヴァ地区は、第二次世界大戦時に、ユダヤ人ゲットーがあった場所でもあるんですね。。。かつてのシナゴーグ跡や、ホロコースト博物館もありました。

かつて、19世紀に建造されたシナゴーグが建っていた場所。第二次世界大戦中の1941年、ナチスドイツは、このシナゴーグに火をつけて、中にいるユダヤ教徒を虐殺した。
ホロコースト博物館

川沿いの旧倉庫街

ダウガヴァ川沿いには、古いレンガ造りの旧倉庫街は、Spikeri という商業施設として改装され、蚤の市などが開かれたりもするようですが、私が訪れた時は、オフィスが数軒入っているのみで、活気もなく。。。

Spikeri

リガ中央市場は賑わっていましたが、それ以外のマスカヴァ地区は観光客を見かけることも殆どなく、旧市街のすぐ南にありながら、町の雰囲気はまったく異なります。共産主義時代のリガは、こんな感じだったのかしら、と、ふと思ったり。旧市街とは別の意味で、ちょっとタイムスリップをしたような気分になりました。

リガで泊まったホテル

リガでは、旧市街の南端にある Wellton Riga Hotel というホテルに宿泊しました。

ゴージャス感は皆無のホテルで(笑)、ロビーなどの設備は、ちょっとシャビーな感じもしましたが、客室は、まあ、可もなく不可もなく、普通に快適。

旧市街の観光名所にも歩いてすぐだし、長距離バスターミナルからも近いので、場所的にはとても便利でした。

また、チェックアウト時に、悪天候のため、なかなか空港へ向かうタクシーが手配できず苦労したのですが、ホテルのフロントデスクの方がお友達に電話で頼んだりして、なんとかタクシーを見つけてくださいました。フロントデスクの方には、大感謝です。

次回のブログでは、リトアニアのヴィリニュス、ラトビアのリガ、エストニアのタリン、という、バルト三国の3つの町を比較してみたいと思います。

コメント

  1. 藤原和夫 より:

    昨年5~6月のバルト三国旅行を懐かしく思い出しながら、読ませて頂いています。
    グループツァー旅行で、バタバタと歩き回った為か、頭に残っていないことが多く、改めて、あぁーそーだったんだー、という感じです。
    特に、三兄弟の家が、建設時期によって窓の大きさが異なるとは! ガイドさんは説明されたのでしょうが、気がつきませんでした。
    ここ数年は、気力と知力が衰えて、グループツァー一辺倒ですが、コロナが無ければ、今頃はモロッコ旅行の最中でした。 However,今は、じっと家に閉じこもっています。

    バルト三国の3つの町の比較、楽しみにしています。

  2. sowhat より:

    私は、いつも個人旅行なので、自分のペースで観光することはできるのですが、その分、ツアーで立ち寄るような名所は見逃しているかもしれません。バルト三国の3つの町は、それぞれに違った個性があって、訪れる前に想像していたよりも、はるかに楽しいところでした。

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