イタリアからベルリン経由でやって来たのは、ロシアのサンクトペテルブルグ。
サンクトペテルブルグ (St Petersburg) は、1703年にピョートル1世(後のピョートル大帝)によって作られた、比較的歴史の浅い町。
ネヴァ川河口のデルタ地帯だったこの地は、地盤も弱く、川の氾濫なども多かったため、町の建設は難航したそうですが、ヨーロッパとの関係を強化したかったピョートル1世は、地理的にヨーロッパから近く、バルト海に面したこの地にサンクトペテルブルグの町を建設し、半強制的に人々を移住させ、1712年にはロシア帝国の首都となりました。
ちなみに、サンクトペテルブルグは、サンクトペテルブルグ → ペトログラード(第一次大戦以降) → レニングラード (ロシア革命以降) → サンクトペテルブルグ (ソビエト連邦崩壊以降)、と、その後、何度か、町の名前が変わっており、ロシア革命以降は首都はモスクワに戻っています。
サンクトペテルブルグの街には幅広いネヴァ川が流れています。
今では何本もの橋がかかっていますが、サンクトペテルブルグの町が建設された当初は、橋がかかっておらず、夏季は船で川を渡り、冬は川が凍結するので歩いて渡ったんだって。。。
ひょえ~、寒そうっ!!
ピョートル大帝がヨーロッパを意識して作った町というだけあって、サンクトペテルブルグの街並みは、とてもヨーロッパ的。
町には、いくつもの運河が流れていて、運河の両側には、パステルカラーの建物が並んでいます。
人の像が屋根を支えているような装飾。
こんな感じの装飾がついている建物をたくさん目にしました。 当時の流行だったのかな?
こちらは宮殿広場。
そして、この宮殿広場に建つのが、冬宮殿(Winter Palace)。
ロシア皇帝の冬季の王宮として18世紀中頃に建てられたこの宮殿は、今ではエルミタージュ美術館(Hermitage)として有名です。
こちらは、19世紀に建てられたカザン聖堂(Kazan Cathedral)と聖イサアク大聖堂(Saint Isaac’s Cathedral)
どちらも、ロシア正教の教会です。
昔、エストニアのロシア正教の教会を訪れた時にも感じたのですが、ロシア正教の教会の中は、とても厳粛な雰囲気。 真剣にお祈りする信者の方たちばかりで、観光客の私がお邪魔するのは、なんとなく憚られます。
ちなみに、ロシア革命後のソビエト連邦では宗教が弾圧されたため、ソビエト連邦時代は、これらの教会は閉鎖され、倉庫や公共施設として使われていたんだそうです。
そして、これらのヨーロッパ的な建造物が建ち並ぶサンクトペテルブルグの中で、珍しくロシア風なのがこちら。
血の上の救世主教会(Church on Split Blood)という、なんとも物凄い名前のロシア正教の教会。
19世紀に皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられたので、このような名前で呼ばれていますが、この教会の本当の名前は、スパース・ナ・クラヴィー教会というんだそうです。
それにしても、派手派手ですねー。
このカラフルなタマネギ型をした塔のてっぺんは、サンクトペテルブルグの町を歩いていて方角がわからなくなった時に、目印になって、とっても便利でした☆
と、こんな感じで、この血の上の救世主教会以外の建物は、なにもかもヨーロッパ調で、町を歩いていると、ロシアにいることを忘れてしまうぐらい。。。
ロシア風建築の街並みに触れたい人にはちょっと物足りないのかもしれませんが、ロシア帝国の華麗な宮廷文化とパステルカラーの街並みがとても美しいところでした。
サンクトペテルブルグでは、Courtyard St. Petersburg Center West/Pushkin Hotel というマリオット系のホテルに3泊しました。エルミタージュ美術館など主な見所が集まるエリアからは4キロ近く離れているのですが、聖イサアク大聖堂までホテルの無料シャトルバスが運行しているので、とても便利でした。
ロシアの観光ビザを取得するには、インビテーションレターとバウチャーなるものが必要になるのですが、これらの書類も、ホテルに頼めば用意してもらえます(有料のサービスです)。
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